1960-04-07 第34回国会 衆議院 本会議 第21号
同年五月、第一次吉田内閣成立の際には、君は嘱望されて内閣書記官長となり、また昭和二十三年・二十四年の第二次及び第三次吉田内閣には、副総理として入閣して厚生大臣に就任されました。 君は、戦後の最も重大かつ困難な時代に、新憲法並びに付属法律の制定にあたって、議会との折衝に日夜肝胆を砕くなど、よく吉田総理を助けて国政の処理に当たり、民生の安定に著しい貢献をされたのであります。
同年五月、第一次吉田内閣成立の際には、君は嘱望されて内閣書記官長となり、また昭和二十三年・二十四年の第二次及び第三次吉田内閣には、副総理として入閣して厚生大臣に就任されました。 君は、戦後の最も重大かつ困難な時代に、新憲法並びに付属法律の制定にあたって、議会との折衝に日夜肝胆を砕くなど、よく吉田総理を助けて国政の処理に当たり、民生の安定に著しい貢献をされたのであります。
○受田委員 行管として調査されて責任の所在の明らかにされた事項として、遠くに及びませんでも、吉田内閣成立以後における課長以上の責任のとられた事件を資料として御提出願いたいのです。 もう一つは、ある特定の事件についての責任をどこに置くか、軽重ということを長官は仰せられますけれども、そういう責任の所在の基準というものは一体どこがきめられるわけですか。
さらに昭和二十三年の第二次吉田内閣成立後におけるところの状態におきましては、年度内——年度内ということは、年内に開会式を行なって、そうして一月の休会明けに施政方針演説を行なった、そういうことにおいて延びた事実はあります。従って五日間以上、これは事実あります。
最後に、私は総理の良心を喚起する意味合いにおきまして、第二次吉田内閣成立当時の新聞記事を御披露申上げます。当時の官房長官は、問題の人、佐藤榮作君であります。これは昭和二十三年十月二十日の朝日新聞の記事でありますが、吉田総理の談話として次の通り内閣の心がまえを述べておられます。
(拍手)吉田内閣成立以来すでに六年、平和条約締結以来二年を経過したにかかわらず、外交においては民族の運命を担い、新日本の建設の気魄に欠け、秘密外交、屈辱外交、その都度外交に終始し、内政においては放漫政策に明け暮れて、今日、曾つて池田放言に現われた、貧乏人は麦を食えという思想を地で行つた予算を提案し、その予算も又三派修正なるものをいたし、而も今日においては入場税その他重要関係法案の審議これに伴わずして
吉田内閣成立以来、例の平和条約調印のために吉田首相が日本を出発するときには、副総理の定めがなくて、益谷君を副総理に任じて出発されたように記憶いたします。
国民の代表である国会の同意を得て選任することだけ、何百人か、何十人か知らないが、吉田内閣成立以来の普通の大臣よりも、ずつと慎重な手続をとつて選任されておる。また罷免の場合も大臣の場合と異なつて、普通の平大臣はすぽつとやられるが、そうではない。国家公安委員会は法に定める一定の事由なき限り総理大臣は一方的に罷免できないことになつておる。
○川崎委員 ただいま中曽根君と政府閣僚との質疑応答を聞いておりますと、この問題は政局に関し、吉田内閣成立以来、その存立に関連しても重大な問題が惹起しつつあることを承知するものであります。
政府は第一次吉田内閣成立当初から、綱紀粛正を看板として来た。来る国会も、来る国会も、総理大臣は施政方針演説の冒頭に綱紀粛正、官紀の粛正をうたつて来られたのであります。しかるに今回の施政方針演説の中には、何ゆえかこの重大なる一項目が抜けていた。時あたかも保全経済会の問題について、衆議院行政監察委員会の審査が開始をされまして、昨日平押力三氏の証言に及んで、重大な事実が暴露をされた。
○苫米地義三君 御両氏の御答弁了承いたしましたが、行政整理というものは、これは吉田内閣成立以来の問題であり、而も絶対多数を取つておつたあの情勢の下に、なお且つできなかつた問題であります。今日長官が非常な勢いでこれをやろうとするのは大いにその労を多といたします。是非国家の財政その他の上からいつてやらなければならんことと思います。一つ勇敢にやつて頂きたいと思います。
政治が低調に陥つた際には、天は必ずこれに警告を与えるということでありますが、吉田首相は、第五次吉田内閣成立後、相次ぐ災害の続出によつて国民が塗炭の苦しみを嘗めている現状を何と心得ておりますか。先般、西日本、北九州、和歌山等を襲うた風水害の惨事に直面しながらも、吉田内閣は治山治水の根本対策を未だ確立しておらないではありませんか。
更に又中小企業安定法が……、これは議員立法で出ておりまするけれども、提案者に質問いたしたところによりますると、政府の同意も得ておるということであるのでありますが、中小企業安定法が今回恒久立法になつて、その内容は民間統制を強力に実施して行くということに相成つておるのでありまして、私は吉田内閣成立以来、今回の立法というものはまさに画期的なものだと思うのです。
そうして最後に申上げておきたいことは、先ほどから質問いたしましたいわゆる日本経済の自立達成の方途及び貿易振興の対策、そうしてMSAに対する日本の方針、こういうものは二十八年度予算編成に当つて、従来お出しになつた二十八年度予算とはそういう観点から変つた性質のものが出て参らなければどうも工合が悪い、第五次吉田内閣成立の趣旨が達成せられない、こう考えますので、総理大臣の御所見を伺います。
次にお伺いいたしたいのは、吉田首相は第一次吉田内閣成立以来、国民道義の高揚と綱紀の粛正を一枚看板のよりにして強調して来られました。国民も又私も、吉田首相の潔癖過ぎるほど潔癖な道義感の上に立つての道義の高揚、綱紀の粛正には、大きな期待を持つていたのであります。今回の施政方針の演説におきましても、四たびこの点を強調されました。その熱意のほどは私も非常に嬉しく感じております。
特に第四次吉田内閣成立当時官房長官が述べられた通り、閣議におきましても、十大緊急政綱をきめますときに、ガソリン税は目的税とするということの了解事項があつたような次第でありますので、私どもも、当初といたしましては、目的税法案を提出する予定でありました。
私が自由党内閣で以てすでにガソリン税が閣議決定しておるというようなことを非常に強く発言されておりますが、速記録を見られればおわかりになる通りに、第四次吉田内閣成立の当初に当つて自由党が提示をいたしました緊急十六政綱を決定いたすときに、ガソリン税は目的税となす、但し発表は別途に行う、こういうふうに規定しております。
(拍手) 次に綱紀粛正ということがございましたが、吉田内閣成立以来、綱紀の粛正については最も注意を払つております。かつてわが党内閣あるいは閣僚の間に涜職事件が起つたことはないのであります。(拍手)また、かりに下僚の間に涜職その他の事件が起つた場合に、政府は決してこれを看過いたしておりません。法の示すところによつて厳罰に処しております。
○玉置委員 第四次吉田内閣成立直後におきまして、重要政策を声明され、その線の一環として、先日の当委員会におきまして石井大臣よりごあいさつがありました中に、所管の仕事として三大政策を強調されておるのでありまして、私ども過去長年強調いたしましたことがようやく実現の緒についたと考えまして、非常に意を強うしてお聞きしたのでありますが、本日はそのうちの鉄道建設政策について、特に石井新大臣の基本的な考え方をこの
すなわち、昭和二十四年一月、第三次吉田内閣成立以来、政府は超均衡財政をとつて参つたのであるが、その目的は、当時のインフレをとめ、対日援助資金と補助金とによつて成り立つておつたところのわが国の経済に終止符を打つためであつた。
(拍手、笑声) すなわち、北村君は、吉田内閣成立以来三年有半の偉大なる功績を批判する前に、片山内閣、芦田内閣が何をなし、また何によつて短命に終つたかをこの際回顧される必要がある。(拍手)しかして、昭和二十四年の総選挙において、わが党が圧倒的大勝を博するや、諸君は、自由党はできもしない公約を羅列して国民をつつたんだという負け惜しみさえも言つたのであります。
理 由 衆議院の解散については、昭和二十三年十一月、第二次吉田内閣成立直後、現実的政治問題として提起せられ、以来広く各方面において重大な憲法解釈問題として論議されて来た。